ハノイの水道インフラは、歴史的背景や都市開発の経緯から、日本の水道システムとは大きく異なります。日本人駐在員や移住者にとって、これらの違いは日々の生活に直結する重要なポイントです。本記事では、ハノイの水道インフラの歴史と現状を整理し、日本の水道システムとの相違点を実生活の視点から分かりやすく説明します。
1.ハノイ水道インフラの歴史的変遷
独立後~ベトナム戦争期(1950~70年代):1954年に独立を果たした後も、ハノイは北ベトナムの首都として発展し、水道インフラの拡張が図られました。1960年代には旧フランス時代の給水塔を廃止する技術革新が起こります。1960年頃、イエンフー浄水場を設備更新して近代的な配水ポンプ方式へ移行したため、ハンザウ給水塔は役目を終え閉鎖されました。以降、上水は地上ポンプによる直圧給水が主流となり、1890年代設置の重厚な給水塔は歴史遺産として残るのみとなります。一方、戦中戦後の資金不足もあり、市内の古い鉄管などは大半がそのまま残され、老朽化が進行しました。古い配管図面もフランスとの戦争時に焼失してしまい、当局ですら埋設管の全容を把握できない区域があると言われます。

ドイモイ以降の現代(1980年代~現在):1986年のドイモイ政策以降、ハノイは急速な都市拡大と人口増加を迎えます。これに対応し、水道も新規浄水場や大口径の送水管建設が進められました。たとえば近年では郊外のダ川(Da River)水源から大量の表流水を取り入れるプロジェクトが行われ、大規模な送水幹線(ダ川給水パイプライン)が約2009年に稼働しました。これは全市の約4分の1に当たる日量25万㎥以上を運ぶ重要インフラですが、施工不良により2012年以降6年間で20回以上も破裂事故を起こす深刻な問題が発生しています。原因は中国企業製の低品質パイプの採用とされ、漏水による断水被害や経営陣の処分に発展しました。また他方では、日本や国際機関の支援で古い浄水場の拡張改修(例:城北のザーラム地区など)や老朽管の更新も進められています。しかし都市開発のスピードにインフラ整備が追いつかず、現在も水不足や水質汚染への課題が残るのが現状です。
2.都市開発と水道インフラ – 旧市街と新興エリアの違い
ハノイでは旧市街地と新都市開発エリアで水道事情に大きな格差があります。旧市街(ホアンキエム区周辺)や1960~80年代に建てられた旧ソ連式の集合住宅地では、水道管の老朽化や供給能力不足が慢性的です。そのため**「水圧が弱く水が出ない・水量が足りない」という問題が多発し、住民は自衛策として各建物の屋上に貯水タンクを設置するようになりました。実際、ハノイの古い団地群の屋上には大小様々なステンレス製の水タンクが林立し、空から見ると「銀色のキノコ畑」のようだと揶揄されるほどです。これら屋上タンクは500~1500リットル級が一般的ですが、中には老朽化して落下事故を起こしたものもあり、地元メディアでは「屋上の時限爆弾」と呼ばれることすらあります。これらは、日本の都市部でビルの高置水槽は見られる光景でありますが、戸建住宅から低層アパートまで一律に屋上タンクだらけというハノイ特有の風景は、日本人には驚きでしょう。

一方、新興の都市エリア(ミーディンや西湖西岸の高級住宅街、郊外の大型団地など)では、比較的近年に整備されたインフラのおかげで状況は改善しています。新規開発地域では開発業者が大口径の配水管を引き込み、高性能なポンプや受水槽を備えた建物も多く、24時間断水しない安定給水を実現している所もあります。またハノイ中心部でも、富裕層向けサービスアパートや高層オフィスビルでは、自家発電装置や大型の地下貯水槽を完備し、水不足に備えています。しかしそのような建物であっても日本のような完全直結給水ではなく、結局は一旦タンクにためてから各戸に配る方式が基本です。つまり、最新の高層ビルでも「大型の屋上・地下タンク+ポンプ」という構成自体は踏襲されています。

さらに郊外では、水道の未整備区域も依然存在します。ハノイの行政区域拡大により市域に編入された地域(例えばロンビエン区・ザーラム区の一部等)では、90年代まで水道未普及だった所も多く、井戸水や給水車頼みの生活から徐々に水道接続へ移行している段階です。日本ではほぼ全ての市街地で上水道が普及し、未給水地区は極めて稀ですが、ハノイでは都市化のスピードに対し水道網延伸が追いつかず、場所によって給水状況にばらつきがあります。特に都市端部の新住区では、人口増に対し配水能力が不足しがちで、夏場の断水や水圧低下がニュースになることもあります。このように「どこに住むか」で水道事情が大きく異なるのがハノイの現実で、日本との大きな違いと言えるでしょう。
3. 水道管の素材と劣化・更新状況
使用素材の変遷:ハノイの水道管は時代とともに素材が変わってきました。フランス統治期から20世紀中頃までは鋳鉄管や鉄管が主流で、その後、徐々にプラスチック系のパイプ(PVC=塩ビ管や、高密度ポリエチレン管(HDPE)など)へ移行しています。とはいえ、古い市街地には築100年近い鉄製管路が今も埋設されたままの箇所もあり、老朽化による漏水や赤サビ発生が問題です。実際、ハノイ市内では蛇口から黄色く濁った水(サビ水)が出ることがあり、長年住んでいる日本人も経験があるでしょう。その主因は、古い鉄管内面の腐食に伴うサビが水に溶け出すためです。驚くべきことに、各建物への引き込み管(給水支管)にも鉄管が使われるケースがあると指摘されています。日本では戸建やビルへの引き込みには耐久性・耐腐食性に優れた樹脂管(灰色の塩ビ管など)を用いるのが一般的で、地震でもしなやかに動き亀裂が入りにくい素材ですが、ハノイでは未だに鉄管を新築時に使ってしまう業者もいるようです。その結果、新築アパートなのに初めから水がサビ臭い、といった事態も起こり得ます。

● 劣化と漏水の実態:老朽管からの漏水はハノイの大きな課題です。ハノイ市の無収水率(漏水や計測不能水量の割合)は26%前後との報告もありますが、ある日本人技術者の見積もりでは「ベトナムでは約半分が配水中に失われている」とも言われています。日本の場合は約97%が有効に届けられ、漏水率3~5%程度と世界トップクラスなので、その差は歴然です。漏水の原因は、配管の老朽化(腐食・亀裂)と施工精度の低さです。日本の水道管は丁寧に埋設・接合されますが、ハノイでは過去の工事で不適切な埋設や継手不良があったケースも多く、さらに戦争や道路工事で配管網の把握が混乱した歴史も相まって、地下で水が漏れていても把握できない箇所が多数存在します。ハノイ水道当局者ですら「100%全ての管路経路を把握してはいない」と認めており、大きな破裂で道路に噴出して初めて修理という状況です。こうした維持管理の難しさも、日本との大きな違いです。日本では定期的な漏水調査や管路の更新計画が法的にも義務付けられ、多くの自治体で40~50年程度のサイクルで管を更新していく計画があります。それに対しハノイでは、資金不足もあって計画通りの更新が進まず、100年前の管が現役だったり、前述のように新設時に中古の鉄管が使われてしまうような管理不備も指摘されています。
更新の取り組み:近年、ハノイ市も漏水削減と水質改善のため老朽管更新に着手しています。国際協力機構(JICA)や世界銀行の支援プロジェクトで、水漏れが多い地区の配水管を耐久性の高い新素材管に取り替える事業が行われました。例えば破損トラブルが相次いだダ川からの送水幹線も、別メーカーの高品質パイプへ変更する計画が進められています。市内配水網でも、徐々に塩ビ管・HDPE管への置換が進みつつあります。ただし都市全域で見ると依然として古い鉄管網に頼っている部分が大きく、完全更新には巨額の投資が必要です。ベトナム政府も2030年までに100%の住民に安全な水を供給する目標を掲げていますが、その達成には今後、途方もない規模の投資が必要との試算もあります。老朽管の問題は水圧低下や漏水率の高さだけでなく、水質汚染リスクにも繋がっています。後述のように、配管の亀裂から汚水が混入しやすい状況にあるため、単なるインフラ老朽化が公衆衛生問題にも直結しているのです。
4. 配管設計思想の違い – 水圧設計・貯水方式
水圧と給水方式:ハノイと日本では、水道の設計水圧や給水方式が根本的に異なります。日本の都市部では、水道局が適切な水圧をかけて各家庭まで直接給水する「直結給水」が一般的です。配水管内の圧力は概ね0.2~0.3MPa(20~30メートル噴水)程度に維持され、2~3階建て程度の建物ならポンプなしでも水道本管からそのまま水が届きます。一方、ハノイでは配水管の水圧が意図的に低く設定されています。文献によれば、ハノイ市の幹線管路の設計圧は0.1MPa弱程度で、これは日本や欧米の平均水道圧の3分の1ほどしかありません。低い圧力設定にしている理由は、古い管の耐久性や漏水を考慮し、過剰な圧力をかけられない事情があるからです。またエネルギーコスト削減の意図もあります。いずれにせよ、この低水圧のためそのままでは高所や奥まった場所まで水が届かないため、各建物側でポンプアップする前提の設計になっているのです。
屋上タンク方式:ハノイ市民の生活に根付いているのが、各戸・各ビルでの貯水タンク設置です。典型的な住宅では、まず地表または地下にコンクリート製の受水槽(3~5立方メートル容量)を置き、そこに市の配水管からの水を一旦溜めます。そして電動ポンプでその水を建物屋上のステンレス製タンク(1~2立方メートル容量)に揚水し、そこから重力を利用して各蛇口へ給水するのです。この「地下タンク+ポンプ+屋上タンク」という二段構えの方式は、ハノイでは戸建住宅からアパートまで非常に一般的です。屋上タンクは日本で言えば高架水槽にあたりますが、ハノイでは低層住宅でも当たり前に見られる点が特徴的です。利点として、たとえ市の水道が一時停止したり停電でポンプが止まった場合でも、屋上タンクの水がなくなるまでは重力で給水が継続するため、多少の断水なら各家庭で緩衝できるメリットがあります。これは水道を24時間連続給水できない新興国ならではの知恵と言えます。
直結給水と水質への影響:日本の都市部では、高層ビル等を除き各家庭でタンクを持つ必要はなく、水道水をそのまま利用できます(高層建築でも近年は直結増圧給水が普及)。これにより水は常に配管内を流れ新鮮な状態が保たれます。一方、ハノイのタンク方式では貯め置きによる水質劣化が懸念されます。実際、多くの家ではタンクの清掃が行われず放置されるため、内部で藻類や細菌が繁殖し、水が汚れる原因となります。また各家庭が吸上げポンプを使うことで、市の配水管内圧力が低下し、管に生じた亀裂から周囲の土壌中の雑菌や有害物質が水道管内に侵入してしまいます。日本でも古い建物で受水槽の管理不足による水質汚染事故が問題になりますが、ハノイでは都市全域でこのリスクが常態化しているわけです。こうした違いから、ハノイの水道水はそのまま飲用不可とされ、現地の日本人のみならずベトナム人住民も飲料は別途19リットルボトルのウォーターサーバー水等に頼るのが普通です。
水圧基準の違い:日本の水道法では、給水栓に十分な圧力を確保することが求められています。一般的に末端でも0.1MPa程度の水圧が確保され、シャワーや給湯器がストレスなく使えるよう設計されています。ハノイでは前述の通り都市側圧力は低く、各家庭のポンプで必要な圧を確保します。しかしそのポンプも容量や設定によってまちまちで、シャワーが弱々しい家もあれば異常に強い家もあります。水圧が安定しないこともハノイ生活あるあると言えるでしょう(日本ではまず聞かれない苦労です)。さらにハノイでは高層マンションでも高層階ではしばしば水圧不足が問題になります。高層階用の加圧ポンプ設備があっても電圧降下や故障で止まり、高層住民が断水被害を受けるニュースもあります。日本では高層ビルの高置水槽・ポンプ設備は法定点検や更新も厳格ですが、ハノイでは管理が行き届かず「マンション上層階だけ断水」ということも起こり得ます。以上のように、水圧と給水方式の設計思想は根本から違うため、ハノイで生活する日本人は「各自タンクとポンプで水を確保する」という感覚を身につける必要があります。
5. 日本の水道インフラとの比較ポイント
最後に、以上の点を踏まえて日本の水道システムとの具体的な違いをまとめます。
- 水質と安全性:日本の水道水は世界的にも安全・良質で、蛇口からそのまま飲めます。残留塩素濃度も適正に抑えられ、カビ臭やサビとは無縁です。一方ハノイの水道水は飲用不適で、雑菌・重金属混入リスクがあります。そのため強めの塩素消毒が施され、地域によっては日本の10倍もの塩素濃度という報告もあります。プールの水のような匂いを感じることもあり、肌や髪への影響を指摘する声もあります。日本人家庭では飲み水は市販水や浄水器利用が必須となります。また日本では水源から家庭まで一貫した公的管理で水質検査も厳格ですが、ハノイでは前述のように複数の民間企業が浄水場を運営しており品質管理にばらつきが見られます。実際、ある民営浄水場で許容量を超えるヒ素が検出され営業停止になる事件も起きました。日本では考えにくい事態であり、水道を公共サービスではなくビジネス優先で運営している構造的な問題が背景にあります。
- 供給の安定性(圧力・断水):日本では原則24時間連続給水で、一般家庭が断水に備える必要はほぼありません(災害時を除く)。水圧も一定に維持され、どの家でもシャワーがきちんと使えます。ハノイでは断水や減圧が日常的です。猛暑期や設備故障時には計画・非計画の断水が発生し、各家庭のタンク蓄えがライフラインとなります。また家によって水圧が異なるのも特徴です。特に旧市街では夕方に水が出にくくなり、深夜にポンプで溜め置きする、といった工夫が必要な所もあります(日本では想像しにくいですが、かつて日本の昭和中期でも見られた状況です)。この違いから、「水がいつでも豊富に出る」日本式の当たり前が通用しない点に注意が必要です。渡航者はポリタンクなど非常用水の備蓄も意識するとよいでしょう。
- 管径と水道網の構造:日本の配水網は環状化され、需要に応じ余裕ある管径が確保されています。住宅地でも100mm程度の本管が通り、各戸へは20mm前後の引き込み管が伸びています。消火栓も適所に配置され、非常時には大量の水を流せます。ハノイでは地区によって管径が不足気味です。旧市街の狭い路地では50~75mm程度の細管が張り巡らされ、水需要に追いつかないことがあります。また地形的にも低地が多く、水圧確保が難しいエリアでは高架水槽(給水塔)頼みだった歴史もあります。現在は都市の幹線道路沿いに大口径管を新設しつつありますが、古い街区では依然として細管・デッドエンド(行き止まり管)が残存し、水の滞留や圧力低下を招いています。この構造の違いは、水質(滞留で腐敗・赤水発生)や消火能力にも影響します。日本人から見ると「なんでこんなに水の出が悪いのか?」という場面が多々ありますが、背景には都市インフラ設計思想と管網構造の違いがあるわけです。
- 更新頻度と維持管理:日本の水道事業体は計画的な更新と厳格な維持管理で知られます。管路台帳が整備され、漏水検知には音聴や最新機器で早期発見・修繕を図ります。老朽管は財政状況と相談しつつも計画的に交換され、大きな水道事故は少ないのが実情です。ハノイでは前述の通り、維持管理は事後対応型で、大規模破裂や水質事故が起きてからようやく対策するといった側面があります。予防保全の考え方が十分ではなく、人員・予算の制約もあって巡回点検や水質モニタリングの網羅性も不十分です。その差は漏水率や事故件数に如実に現れています。また、日本では各自治体の水道局が単独で責任を負い統一基準で管理しますが、ハノイでは地区ごとに複数の水道会社(公営・民営・合弁など)が存在し、管理体制が分散しています。例えばハノイ市内の浄水場は15か所ほどありますが、運営主体はバラバラで、市全域で品質やサービス水準を統一する発想に乏しいと指摘されています。日本のように水道法や公的ガイドラインで横串を刺す体制が弱く、利益優先の事業もあるため、水道水の地域間格差や対応のばらつきが生じています。
- 日常生活への影響:以上を踏まえ、ハノイと日本の違いで日本人が特に注意すべき点をまとめます。
- 飲料水:「水道水は飲まない」が鉄則です。必ず市販の飲用水か浄水器を使用し、歯磨き・野菜洗いも可能なら浄水器水が望ましいでしょう。日本では蛇口水そのままご飯を炊きますが、ハノイではヒ素や重金属混入の懸念もあり、専門家は「水道水で炊飯するのは避けるべき」と助言しています。沸騰させても無機汚染物質は消えません。
- 設備管理:自宅やオフィスの屋上タンク・ポンプの管理状況を確認しましょう。可能なら年1回程度の清掃を依頼し、ポンプ故障時に備えてください。日本人経営のサービスアパートでは管理が比較的行き届いていることが多いですが、それでも日本以上に設備管理への意識が必要です。
- 節水と備え:ハノイでは上記のように漏水が多く貴重な水が失われています。水資源保全のため、現地では日本以上に節水の意識を持つことも求められます。また断水に備え、浴槽や大きめの容器に水をキープする、ポリタンクを用意するといった備蓄の習慣も有用です。日本のように「水は出て当たり前」ではないことを念頭に置きましょう。
以上、ハノイの水道インフラの歴史から現在までを概観し、日本の水道との違いをまとめました。簡潔に言えば、「日本は公共インフラとして高度に整備・管理された直結水道、ハノイは歴史的経緯から各戸の工夫に支えられたタンク水道」という対照的な状況です。日本人にとっては不便に思える点も多いですが、これも発展途上の都市で暮らす上での現実です。水にまつわるローカル事情を理解し、安全で快適な生活が送れるよう心がけましょう。幸い、近年ハノイの水道も改善に向かっており、将来的には日本並みとはいかずとも着実にサービス向上が期待されています。現地の水事情を正しく理解し、賢く対応することで、ハノイでの生活もきっと快適になるはずです。